家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

リレー・フォー・ライフ・ジャパン2016川越

9月17日(土)13時から18日(日)の13時まで、24時間かけて開催されたリレー・フォー・ライフ

昨年、実行委員会に迎えられ、副実行委員長という大役をいただき、引継ぎやOJTなどがあるわけではないボランティア活動の中で、右往左往しながら活動してきました。

今年はそれよりも一歩前進して、がん啓発セミナーのスモールセミナー講師の手配や内容固め、同時に来年のテーマなども考える余裕がありました。

また、最初の仕事としてポスターとチラシのデザイン案を担当させていただきました。
昨年はがん患者はその瞬間(治療中)は孤独であること。周りにいっぱい同じように治療している人たちがいるのにも関わらず目が向かないこと。
なぜか秘密にしたり、隠したりすることなどから「孤独からの脱皮」をテーマにしました。
今年はそこから「ホップ・ステップ・ジャ~ンプ」で飛び出し、笑顔になることをテーマにしました。
もちろん、来年のこともすでに考えています。実行委員会のデザイナーさんと打ち合わせ済みです。

また、がん哲学外来の樋野興夫先生をセミナー講師に迎えることになり、それに合わせ川越周辺のがん哲学外来メディカルカフェをチーム参加させることになりました。

リレー・フォー・ライフだけではなく、いつの間にかがん哲学外来にもはまっていた自分。
最初にその存在を聞いたときは関心を示さず、忘れるぐらいだったのが、ある時この存在の大きさに気づかされました。

メンバーはリレーについては詳しくは知らず、そのことを周知させるためにあちこちで開催されるメディカルカフェに出向き、説明し、また誰をメンバー登録するか、シフトはどうするか、何をして寄付を集めるかなど、時間を割いて打ち合わせをし、そのための準備も重ねてきました。

 チームがん哲学外来@川越としては初参加、反省点もありますが、改めてがんカフェの存在・必要性も感じました。

今年、一つ決めていたことがありました。それは...
卒業(亡くなられた方)を追悼するエンプティテーブル(セレモニー)は後方から見守ること。

昨年のエンプティテーブルでは、亡き妹(乳がんからの転移性脳腫瘍で没)を 9 年経っても自分の中で整理できていない自分、その思いがあふれ大声で泣いてしましました。

実行委員会からはその後注意と説教を受け、実行委員長と実行委員会宛てに謝罪文と反省文を提出しました。

その反面、対がん協会の方やがん相談支援センターの方からは「いいんだよ。泣いても」と逃げ道も作っていただけました。

今年、がん相談支援センターの方に「でもね、あれは学生には勉強になったのよ。あの方はどうしていらっしゃるんですか?って気にしてね。遺族の立場を勉強したから良かったんだよ」と言われました。

そんな風に見ていてくれた人たちもいたのかと気づかされました。
トラウマになっていたので、一年経って少し心が救われた気持ちになりました。

とにもかくにも、今年のリレー・フォー・ライフ・ジャパン川越は終わりました。

最後に日本対がん協会の方から「実行委員会はゆるくていいのよ。そんな苦しまず、がんじがらめにならずにやれば」

バイバーであり、ケアギバーでもある自分。
今また一つ前進して、来年はゆるく、肩の力を抜いてやっていこうと思いました。