家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

自分自身の体調と相談して

昨年から少しずつ社会復帰しています。ここまでの心身の回復ぶりを時系列で整理してみます。
2012/06/11 通勤:電車で 1 時間 20 分。業務内容:書類の仕分け作業、勤務時間:3 時間。
この仕事をやっていたことすっかり忘れていました。ブログに書いてある通り 3 時間で本当に良かったです。
心身ともお疲れ気味。
2012/12/16 通勤:徒歩往復 1 時間、業務内容:選挙事務、勤務時間:4 時間。
有権者が多い会場で、仕事中は大きな疲れも感じず 4 時間集中できました。また徒歩で余裕を持って帰宅できました。
心身とも充実感と達成感あり。
この時、四肢の筋力低下の原因を神経内科で検査中。
結果翌年 (つまり今年) 2013 年 1 月に内科で甲状腺機能低下症によるものと判明。
今日現在だいぶ戻ってきていますが完全に良くなっていません。というか完全には戻らないかもしれない (医師の話)。
2013/01/27 通勤:電車で 15 分、業務内容:某国家試験の試験監督官、勤務時間:6 時間。
立ち仕事は気が張っていたおかげで途中座りこむこともなく終了。
心身とも若干のお疲れと充実感。
ただしこの 2 日後インフルエンザに。
試験会場が某高校(会場貸出)だったことからエアコンが十分でなく、また不特定多数の出入りがあるためさまざまな菌があって不思議なし。
2013/03/30 通勤:電車で 1 時間 40 分、業務内容:PC インストール作業、勤務時間:2 〜 4 時間。
仕事は楽しく疲れませんでした。体に負担を感じたのは通勤。最寄りの路線からさらに 2 つ乗換は疲れました。
心は充実感、身はお疲れ気味。
この後 4 月に成田、今月 5 月は汐留と遠出をしたにもかかわらず苦になりませんでした。むしろ充実感がありました。
そろそろ仕事を開始するタイミングかな?と思い 2 社にエントリーし、そのうち 1 社からお仕事の依頼を受けました。
今回講師契約をしている会社から 15、16、17日と 3 日間お仕事を受けましたが結果は...
心身ともにとてもお疲れしてしまいました (~.~;)。
OA なしのデスクワーク。
2 日目の午後 「ふぅ〜」 と何度も深呼吸。
3 日目の午後見た目は普通でも気持ちも体もヨタヨタ状態 (~_~;)。
思考能力が 0(ゼロ)に近付いていました。
仕事は期限がありましたから多少急ぎでしたが、でも自分のペースでできます。
「すっごい忙しいー!」 というわけでもありませんでした。
職場の雰囲気はのんびりしていて人間関係も悪くありません。
なので精神的に追い込まれることもありません。
ただ集中力が途中で切れるし、ずっと座っているだけなので耐えられなくなります。
1 時間に 1 度は席を立ち、人目に付かない隅に移動して思いっきりストレッチをしていました。
パートタイムより長くフルタイムより短い労働。
気持ちは充実していても仕事となると体がついていきませんでした。
今回採用された会社は電車で 15 分ほど。フルタイムでした。
仕事は事務全般、受付・接客から庶務、営業などのアシスタントetc.
小さな営業所で事務員は私 1 人。
3 日間仕事をして 「まだとても無理だ」 と判断して辞退しました。
まずは派遣で単発の仕事をもう少し重ね、短期のパートタイムで時間や期間を延ばしていくことにしました。