家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

いまさら気が付いたこと・・・

先日野球観戦の相棒と話をしているときに 「国語、社会はいいけど、理数系が弱いですよね」
鋭い・・・よく見てる。つかわかるわなぁー会話の端々にも出てくるし。
そーなんです。わたくし足し算引き算の暗算がまったくできません。(←きっぱり
ちょうどそれを学習する時期に学校を長期に休んでいました。
子供のころは風邪をひくなど体調を悪くすると休む期間がながいながい。
学校に戻ったころには暗算の学習は終わっていてやり方がわからないため、両手を使って計算しないとできませんでした。
算数の時間、暗算の練習問題を出す先生が言った言葉。
「なんでできないの」それも少々怒り気味。
「えっなんでそんなこと、知ってるジャン私休んでいたの」(←幼い少女の心の言葉
もう一人同じ時期休んでいた男のことがいてその子には
「休んでいたからしょうがないわね。いいわよ手を使っても」
すごいショックでした。なぜ私に冷たい。
クラスの子も休み時間などに 「あの子も同じように休んでいたのに違う」
当時休んでいる間に自分で勉強するなんて考えても見なかった。
先生に意見するなんて怖くて考えられなかった。
今はネットがあるから検索すればいろんなやり方がアドバイスされる。
時代が違うから仕方ないことだけど。
それに後で知ったこと。
当時の担任は 「君が代斉唱や日の丸を掲揚をしてはいけません。アメリカが戦争を仕掛けてきます」 と教育をしていた人。
純粋な小学生は先生の言うことをちゃんと信じました。
そんな中、父兄参観の時に父が 「そんなことは起こらない」 と意見したそうです。周りの父兄は沈黙。
それでわたし冷たくされていたのか?と大人になってから思った次第。。。
えっ・・・えぇ〜〜!! おそ〜い気づくの(-.-)。
風疹になった小学 5 年生の 3 学期も 2 週間以上休んで終業式を迎えてしまったし。
さすがに自分自身も焦った。勉強がついていけないのに、これ以上ついていけなくなってどうする。。。
さすがに担任が 「まだ治らないの?」 とクラスの子に様子を見に行くように言ったぐらい。
でも医者が許可しないんだからしょうがないよね。
体系的に学ぶことができず本人も努力もしなかったんだから。
まっ今からでも暗算の勉強すっかなっ。
私のパソコンの師匠であるビーンズさん(小中学校の同級生)に教わろう。
今週末 VBA を簡単に教わるんだけど、その前に暗算教えて!!