家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

2018年が終わります

今年 2018 年はとても気力に満ちた一年でした。
2012 年乳がんの治療後すぐに橋本病になり、どこにかかれば診断がつくのかわからないまま 9か月。
2013 年 1 月やっとテレビの情報番組からこの病気の存在を知り受けた診断はやはり橋本病。
橋本病|甲状腺の病気について|伊藤病院 - 甲状腺疾患専門
出かけることが億劫、考えることが億劫、口がもつれる、体力の低下、記憶力の低下。
常に眠い、
体温が低い、血圧が低い、脱毛が続く、全身が浮腫む、皮膚が乾燥する。
汗がかきづらい、声がかすれる。
肝機能障害、悪玉コレステロール値が高い。便秘、黄疸。
とにかくありとあらゆる症状に悩まされました。
それから 5 年。今年 2018 年は「あっ、なんか違う」
確かに気持ちも前向きになり、そしてそれが仕事につながり 2 月からがん専門リンパ浮腫治療院のパートの仕事に就くことができました。
PC 講師の仕事も連続勤務はまだ無理でも、必ず講師業の翌日はからだを休めないといられなかったのが、翌日も別の仕事を入れられるようになりました。
現在、仕事は 4 つかけもちです。
プライベートでは、忘年会や年末のイルミネーション巡り、ボランティアの打ち上げ等、夜間外出もできるようになりました。
来年は公益財団法人のがん団体の集まりで都内のホテルの1泊で参加してきます。
また、今年 8 月に亡くなった叔父の納骨のために京都に行く予定です。
さらに仙台 楽天のホーム球場に観戦に行くつもりです。
こうやって、年々体が少しずつ元には戻れなくても、今の自分をありのままに受け入れ生きていこうと思います。
ところで、その叔父ですが 2 月の入退院から始まり、肺結核が見つかり都内の公益財団法人結核予防会の病院に転院。生きて元のアパートに戻れる可能性は 0%。結局敗血症で夏に亡くなりました。
家族と別れ、兵庫から関東に引っ越し、ひとりで生きてきましたが、最期はやはり親族でした。
さらに母が肺炎で再入院。私はというと、骨折した手首のボルトを抜く手術で入院と今年は
「病」とそれに伴う「金」の一年でした。
今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください。