家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

感謝

2015 年、今年は昔からの知り合い(特に音楽関係)の方々との再会や思いもよらぬバンド活動ができてうれしく感謝の気持ちでいっぱいです。
その音楽仲間の一人がバンドのメンバーに 「私のことをよろしく・・・」 と知らない間に facebook 上でやり取りをしていたことを知り、笑い泣きしながら投稿を読んでいました。
昨日もジャズの演奏を聴きながら目頭が熱くなりました。
2011 年がんと告知されたとき 「あ〜、私も死ぬんだ」 と冷静に受け止めていました。
特に両親には私がいなくなった時に困らないようにと、A4 用紙 1 枚に書き出したものを部屋の壁に貼り付けておきました。
それを見た父は見えないところに隠しました。
抗がん剤治療は辛く 「やめられるものなら、やめたい」 と1度は思い、でも 「妹のように死んではならない(乳がん→転移性脳腫瘍で没)」 と言い聞かせ、乗り切りました。
手術、放射線治療と私の乳がんの治療は順調に進み終わりました。
しかし、その後、社会復帰は 1 年たっても 1 年半たってもできませんでした。
がんばって派遣やバイトの単発。それも 1 日働けば 1 日寝たきり、3 日働けば 3 日体が動かないの繰り返し。
当然、お金がないから遊ぶこともできず、どんどん人との関係が遠のいていきました。
もう昔には戻れないんだ。
でも 「がん友」 という同じ辛さを乗り越えて、思いを共有できるかけがえのない 「友」 も得ることができました。
2015 年が始まって 4 か月、落ち込むこともあるだろうけど、いろいろがんばれる・・・そんな気がします。
リレー・フォー・ライフ・ジャパン 2015 川越のタブタイトル
”ひとりじゃない” ー未来にむかって孤独からの脱皮ー