家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

友人に手を合わせてきました

20130403仕事とがんを共にした親友へ
昨年 11 月、パソコンインストラクター時代の仕事仲間であり、悪友であったえるなちゃんこと N さんが亡くなりました。
今日は彼女のご自宅 (千葉・成田) までお線香をあげに出かけてきました。
彼女が亡くなったことを知ったのは今月の頭。
仕事を長く離れていたため連絡が来なかったのは仕方ないとしても、知った時にはかなり堪えました。
彼女は 2011 年 3 月にがんが見つかり、私は 3 カ月後の 6 月にがんが見つかりました。
がんの部位は違えど、ほぼ同じ時期に化学療法などを行っており、互いにメールで励まし合ってきました。
昨年 1 月手術のため入院することを報告すると千葉から埼玉の病院まで 「お見舞いに行く」 とも言ってくれました。
でもさすがに遠すぎること。彼女のがんは叩けど叩けど次々に、あちこちに再発・転移し、引き続き化学療法を受けていたため気持ちだけいただいていました。
仕切り屋で自分の意見をポンポンいう彼女は頼もしくもあり、時に引いてしまうこともありました。
また距離を置いたときもありましたが、お互い病気になっていろいろ見えてきたこともありました。
今日は行って良かったです。
入院中の最期の写真を見せていただいたこと。ご両親が喜んでくださったこと。
7 年前妹が亡くなった時、小学校から社会人にいたるまで友人が大勢駆けつけてくれたことや、その後もお墓参りをしてくれたことなど、家族として大変うれしかった事を思い出しました。
N さんの命日は 11 月 15 日。
私もできる範囲で、できることを彼女のご両親にしていこうと思います。
なかなか成田まではいけないので、新盆や一周忌など忘れないでいようと思います。
ところで話は大きく変わり、
彼女の自宅を出た後は成田空港に立ち寄りわずかな時間を過ごしてきました。
好きなんです。空港の雰囲気と言うか飛行機の発着する音。
ただ時間が遅くなってしまったため、空港内の雰囲気だけ味わってきました。
次回羽田空港をゆっくり時間をかけて見学と言うか遊びに行こうと思います。
成田まで往復できたことは体力的にだいぶ自信になりました。
でもそれが 「無理が効く」 と思って結果悪い方に出るといけないので、まだまだ完治までには程遠いがん患者なんだということを意識して生活して行こうと思います。
今日改めて生かされた自分を大事にしていこうと決意した 1 日でした。
最後に N さんのお母様から形見分けでショルダーバックをいただきました。
大事に使わさせていただきます。