家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

退院だ !

入院中はブログが更新できなかったので、退院した今日更新しますだ!
・12 日午後 2 時入院。
ラウンジには早めに到着。入退院の手続きで混雑するため。
ID カード(診察券)、保険証、限度額適用認定証、前納金(10 万円)、入院誓約書、身元保証書などを提出。
大部屋は 4 人部屋で快適な広さ(^.^)。
病院での 1 日の過ごし方の説明。手術前エコー検査、血液・血圧などの検査。手術前の腕の太さを測る。術後リンパ浮腫による太さの違いを把握するため etc.
夕食後は下剤と睡眠剤が処方されたが、睡眠剤が良く効いて爆睡。
・13 日午前 9 時手術開始。
午前 8 時 30 分病室出発。手術室まで徒歩でテクテク ヘ(* - -)ノ。
主治医・麻酔医・看護師など各担当の先生方とご対面してから手術室へ。
もうこの先はまな板の鯉なのよん。麻酔が手首の点滴から入ってくると、瞬時に眠りにつく。
煮るなり焼くなり好きにせえー (`ω´) (←違います。
術後、麻酔が切れても夜中に痛みでうなされることなく 1 日が終わった。
・14 日午前 7 時前、管が抜ける。
最後の抗生剤の点滴終了後、尿管やら管が抜けて体が自由になるヽ(^。^)ノ。
午前 9 時ごろには病棟フロア内をうろうろ歩く。午後には階下のラウンジでお茶タイム(^○^)v。
自分で傷口を見てみるが、鏡がないと良く分からない。ただきれいに温存できているのは分かった。
・15 日退院の話が決まる。
「えっ!!もう退院ですか (・o・) !!」
腋のリンパ節を切除したので、ドレーン(排液管)*1がお腹に挿入されていて、そこに出てくるリンパ液が血液混じりの赤い状態から透明に変わっていくらしいのですが、私の場合術後から状態が非常に良かったらしく 16 日午後 1 時退院で話が決まる。
ただリンパ液の 1 日の排液量が 50cc 以下でないと外せない決まりらしいのだが、私の場合 76cc で強制的に外された模様(~_~;)。
外してくれた先生も 「僕も初めてなんだよねぇ、でもそういう指示なんだよねぇ」 おまけに 「じゃあ抜くよ。気持ち悪い感覚がくるよ、あ〜気持ち悪い。気持ち悪い。そう言っている間に、ハイ抜けた」
S 野先生天然なんだかおもしろすぎ(^O^)。
ただその後の状況も、退院直前の診察でも至極良くて、出血なし、しみ出すこともなし、腫れもなしと 「ないないづくし」 な私の体。
傷あともきれいだとか。包括がんセンター長も 「うん、きれいだ」 えっ、私の顔(←殴。
まぁ触られていても腋の下も乳房周辺も感覚がまったくありませ〜ん。
・16 日午後 1 時退院
午前中は訓練室で退院後のリハビリの説明と実際のトレーニング。
リハビリの先生 「手術は金曜日だよね。(しばらく考えて)えっ!・・・もう退院!! そっか追い出されるんだ。ベットが足りないんだね」
私 「そうみたいです」
そして病院を後にしたのでしたヽ(^。^)ノ。
でー、こうなると退院後の過ごし方とか、ドレーンが予想以上に早く外れたことで患者側としては一応不安になるのですが (←ホントかよ。
主治医が外来の予約を早めに入れてくれました。
にしても、勤務日でない土曜や日曜日にわざわざ病棟の患者のところまで来るんですから医者は本当に体力だと思った。
感想としては、医師も看護師もみんな笑顔で快適な入院生活でした。
ただ一つだけ病院内の連携に一言。
主治医、病棟担当医、リハビリ担当の連携がうまく取れていませんでした。
これはきちんと意見申しあげました。病院と患者の信頼関係にとても大切なことですから。
それから後日アンケートにお答えしますわ。急だったんで今回は退院時に書いてきませんでした。

*1:手術の傷を閉じた後に貯まってくるリンパ液や血液を体の外に排出するためのもの