家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

春の彼岸法要

この突風と黄砂の中、お寺さんに行ってきました。
昨年秋の彼岸法要を blog に書いていませんが、もちろん行ってきています。
ただ仕事がアップアップ状態だったので、書けなかったんですね。
今だから言えるけど、職業訓練 (Web 制作科) のサブ講師をしていました。
が、メインを担当した講師は誰と組んでも 「二度と仕事を一緒にしたくない」 とサブ講師から 100% 嫌われる人でした。
職業訓練後のアンケートでも 「大半の人に異常なほど悪く書かれる」 と事務局の人が漏らしているほどです。
一体どんな講習を?
「百聞は一見に如かず」 です。一緒に仕事を組めば 100% あなたも嫌になります。
現在はデータ入力の仕事以外にテキスト作成の仕事を別件で受けているので、マイペースでやっています。
花粉症の時期だからちょうどいいです。
話は変わり、今年に入って母が少しずつ気力と体力を取り戻し始めました。
妹の死後、母は鬱状態になりました。かかりつけ医が鬱を診てくれる医師だと後でわかった結果です。
この三年間気力を完全に失い 「死」 を口にすることがほとんどでした。
家から出るのは買い物と病院通いだけ。部屋が暗くなるまでリビングに座ったまま動かない。
これでは心もそうですが、認知症などの心配もあり、なるべく外に出るよう散歩などに連れ出していたのです。
が、今年に入って、やっと自分の口から 「町田に行ってみようか」 と口にし始めました。
「おいしいところにご招待しますよ」 という父の友人からのお誘いに本人がやっとその気になってくれたようです。
母が自分からどこかに行きたいと言い出したのは妹の死後初めてのことで、正直びっくりしました。
でも現実やはり認知症の心配が出始め、大学病院でこれから半年ごとにMRIで脳の認知症に関わる部位を見ていくことになりました。
結局、私は定職に就く踏ん切りがつきませんでしたが、まだまだやり直すのに手遅れはありません。
生きて元気ならね。常にいまがスタートです。