家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

忘れないために

4 日以降、データのコピペや修正・集計作業というデスクワークのお仕事をいただき 「花粉の時期にありがたいわ」 と思っておりました。
場所は代々木。
100 件以上の繰り返し処理にマクロや簡単な VBA を書いたりなどして、実務で使える喜びを感じた週末の午後の出来事。
思いっきり身体を伸ばしていたら横にいるインスト仲間が 「地震!?」 。
3 月 11 日午後 2 時 46 分。
いつも地震に敏感な私ですが、さすがに伸びをしていたので気づかずにいたらあのような揺れを体感したのでした。
東北地方太平洋沖地震
机の下に隠れ、落ちつくのを待ってビルのすぐ隣にある駐車場に避難。以外に冷静で貴重品と、はずしていたマスクをちゃんと持っての非難。
すぐに手持ちの iPod の FM ラジオで状況を確認。その後も余震のため駐車場に避難。
午後 7 時 10 分会社を出発。
JR が終日運転見合わせ、メトロも不通。よって代々木から池袋までひたすら明治通りを歩く。
時折 「今でかいのが来たらどこに避難しよう」 など周りを見ながら足を進める。
幸い仕事中に都内にいた父とメールで連絡が取れたので、午後 9 時前西口で合流。
私鉄の改札のシャッターが降りている状況を見て 「これ半端ない状態だわ」 と実感。
歩いている最中にも水分や甘い物を口にしていたのですが、さすがに 「エネルギーをちゃんと補給しなくては」 と居酒屋へ。
JR やメトロ以外に、最寄りの私鉄も終日運転見合わせが正式に居酒屋のテレビに映し出され 「今日は覚悟を決めよう」 と思っていたら。。

西武鉄道、終夜運行を計画
西武鉄道によると、11日午後9時55分、西武新宿線池袋線の池袋―飯能間、豊島線狭山線国分寺線拝島線多摩湖線西武園線の全線で運転を再開した。
 同鉄道は「お客様の状況に応じて終夜運行を計画している」としている。
(2011年3月12日00時20分 読売新聞)

たまたま公衆電話から自宅へ電話するときに目の前にいた女性グループが 「西武線が運行を開始した」 という話をしていたので直接駅で確認し、所沢に住む父の知人が受け入れてくれたため、午前 0 時過ぎに池袋を出発。
所沢までは 30 分で着いたのですが、そこから徒歩で 20 分以上かかるうえに、父が道を間違えてしまったため 1 時間以上歩き、午前 2 時 30 分近くに知人宅に到着。
結局私は 3 時間以上歩いていたんだわ。でも何とかなるものね、目的があると。
暖かいお風呂が身に染みた。
翌 12 日、午後 12 時 30 分帰宅。
この日は 2 回お風呂に入った。
そして今日 13 日マッサージに行く。
明日以降も大きな余震があるとの予測なので、仕事に行くにしても最低限の備品を持っていく。
もともと常備薬や医師から処方された薬は最低でも数日分、超ミニ懐中電灯やマスクにテレフォンカード、電池式携帯充電器などは常に持ち歩いていたので、すごく困ることはなかった。
それとは別に緊急用避難セットを準備して、明日もいつも通り仕事に行きます。
いろんな意味で感謝です。