家族性乳がん家系 あとから橋本病がついてきた しっかり生きよう優璃の徒然ブログ

2011年6月乳がん告知、2012年3月初期治療(抗がん剤・手術・放射線治療)が終了。家族性乳がん家系で、サブタイプはトリプルネガティブ。現在経過観察中。卵巣がんの腫瘍マーカーが上がってきているけど落ち込むのは3日。日々楽しく生きることを念頭にいろいろな出来事などを書いています。家族全員ががんに罹患。

祖母の葬儀

母方の祖母が 96 歳という大往生の末、亡くなりました。
実は母親には二人の母がいます。私にとって母方には二人の祖母がいたと言うことです。
育ての母 (祖母) は私が中学 2 年のときに亡くなりました。正直今では死に顔も覚えていません。
父方の祖父母とは同居をしていました。祖父の死を見取りましたが、全身から血の気が引いたのを今でもはっきり覚えています。「人が死ぬ」 という瞬間を始めて経験しました。
母親の産みの母は後年大腿骨を骨折し入院、認知症で施設暮らしとなり、会う機会がなかなかありませんでした。
通夜の日、私が覚えている祖母の顔とは違う顔が棺の中にありました。96 歳まで生き抜いた女性の顔。
「本当におばあちゃんの顔だぁ」 と思いました。ここまで生きたからこそ 「死ぬことにも意味がある」 と感じられました。妹のときとはまったく違います。
母は物心付いてから産みの母、そして姉妹と暮らしていません。肉親なのに親戚のような付き合いだったと。悲しいけど悲しくない。寂しいけど寂しくない。「一度でいいから一緒に暮らしたかった」
おばあちゃん、孫が先に逝ってますから、そちらの世界で一緒に暮らしてください。
合掌。
と、いうことで我が家は再び喪中に入りました。